美談という付加価値が大好き! [日記]
佐村河内守のゴーストライターの記者会見見ちゃった。
片側からの主張なので、どこまで真実なのかはわからないけど・・・
最初、知人を通して知り合い、納得の上でゴーストライターとして曲を提供していた。彼とのやりとりがなければ、生まれなかった曲であり、やっている事に納得していたという。
事が大きくなって(佐村河内の名が広く知れ渡り、現代のベートーベンともてはやされたりし始めて)
ゴーストライターを解消しようとしたが、許されず。
フィギュアオリンピック代表の高橋大輔が佐村河内の曲をオリンピックの演技で使用することになり、
さらに事が大きなってから、真実が知られてしまう事での反響の方が、重大と考え、
今の時期に真実を明かす事とした。
ゴーストライターをしていた新垣氏は、佐村河内の耳が全く聴こえていないとは感じた事が無いと話した。
佐村河内クレジットの自分が書いた曲の著作権を主張する気はないという。
ゴーストライターの新垣氏の会見の内容はこんな感じだった。
まず思ったのは、「普通に売るより、障害のある人の作曲だと言って売った方が、売れるからね。」
芸術作品や演技者が「障害者によるもの」「障害者がやった」というのが、
日本人は大好きだ。不自由な身体で大変だったろうという苦難の道が美談となり、
芸術作品に色を添えてしまう。
本来、芸術作品は、苦労して作ったからいいというモノでもない。
善人がつくったから良いというものでもない。
とんでもな嫌な奴が作っても、それが素晴らしい出来なら、それは優れた芸術作品はずなのだが・・・
ただあるがままの作品を正当に評価せず、美談という付加価値がないと、芸術作品に向き合えない日本人に、こういうケースを生み出す素地にあったと思う。
佐村河内の「耳が全く聞こえない」というのが嘘なら、聴衆のそういう嗜好をまんまと利用して、おちょくってくれたのね。と思う。
わたしも佐村河内のNHKスペシャルを見た。作曲のために真冬の極寒の海に佇んだり、譜面がわりの絵のようなものとか、体調を崩して苦しんでいる様子・・・などなど
う〜む。あれが演技となると、アイドルがタレント本を出すためにゴーストライターを使ったというのとは、罪深さのレベルが違う。
会見で、新垣氏に「今後はどうするか?」というあたかも引退を期待する質問し、「今後も音楽活動を続けて行きたい」という答えに不満そうだったが、警察官が不祥事を起こして辞職すると訳が違う。
佐村河内のCDを買ったり、コンサートへ行った人は少なくとも良い曲だと感動したのだと思う。だったら、思っていた人間が作ったのではなくても、本当の作曲家を辞めさせてしまったら、その曲をいいと感じた聴衆への侮辱に思える。
新垣氏が作っていた事が判明したのだから、それなりの責任をとった後、彼が今後作る曲に期待するのが本当ではないかと思う。
佐村河内については、どこまでが真実なのか?がわからない。
しかし、彼自身がゴーストライターを使っていた事を認めているので、作曲をしていないのは事実。ゴーストライターを使うアイドルより、価値はない。音楽活動はもう無理だろう。
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